昭和62年9月中旬頃に一本の電話があった。
「倉岳町役場経済課の岩下です。大阪でふるさと会を10月か11月頃に開催したいが、会場のよかところはなかっでしょうか!!」
「昨年(昭和61年)11月にふるさと倉岳東京大会をして来たっです。大阪でも開催したいので会場を探してくだっさんでしょうか。」との問い合わせの電話だった。
当時、関西熊本県人会に53団体の組織があり、その中に天草二市13町の町人会は河浦、御所浦、五和、新和、大矢野、各町五団体であった。
当時、熊本日々新聞大阪社長の西山さんが県人会や町人会に力を注がれていて、倉岳会を発足させ県人会の傘下に入らないかとの助言を頂いていた。
結成に向けて模索をしていたやさきに絶好の機会がおとずれたと大歓迎したのである。
早速、大阪や神戸と会場探しに奔走し昭和62年10月25日、兵庫県教育会館で町主催の「ふるさと倉岳会神戸大会」が開催され総勢250人が集まった。
遠いふるさとを離れ、何十年か振りに親戚や級友達との再会に感動と歓びに酔いしれたふるさと会であった。
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