「故郷は、遠きにありて、思うもの」犀星の詩の一節にあるように、古里は、遠くにいれば居るほどに、歳をとればとるほどに、懐かしく、恋しさも募ります。今日は第十八回関西ふるさと倉岳会の秋祭り大会に参加しました。 棚底の上揚太鼓や宮田の獅子舞の来演があり、ビデオを撮りながら思わず目頭があつくなるのを覚えました。私も幼い頃に太鼓打ちをやったことがあるのです。じじさんが踊りを教えてくれて、ととさんが囃子(はやし)の笛を吹いて横についてくれました。トントンリイリリと調子を合わせてみるとそのリズムがはっきり合っているのが嬉しかったです。 また獅子舞も勇壮で、玉振りの可愛い演技に拍手喝采がおきました。私はあの銅鑼(どうら)と太鼓の囃子が子守唄のように聞こえてなりませんでした。よく小さい頃に、ばばさんが子守唄がわりに「クァントトットトット、クァントット、獅子ゃ、どうけおらいろ、獅子ゃお山のダゴ盗ど」と、言うような唄を歌いながら妹を負ぶっていたのを思い出すからです。 それも数十年も前の事が、ついこの前のように思われてなりませんでした。人は時代と共に世代交代をして変わっていきますが、古里の山や海は、何時までも昔のままの姿で待っていてくれます。 そして常に貴賎貧富の差別なく迎えてくれるのです。喜びを称え、悲しみを癒してくれる優しさがあるのです。この思いは私達の脳裏に未来永劫に生き続ける事でしょう 母なる故郷倉岳は、前に天草灘、後ろに、くらんたけ(倉岳)、金毘羅さん(矢筈嶽)を控え山海の幸に恵まれた健康の里である事が私の自慢話の一つです。 近くに浮かぶ栖森島(幼い頃には宮田富士と言ったものだ)遠くに見える天草富士、小学生の頃、図画のモチーフとしてよく描いた風景です。春先には梅ノ木の浜んこらで、みなふりいや、はね釣りで、とんぼ、がらかぶを釣ったり、時には蛸をとったりして遊びました。秋口ともなれば裏山の秘密の場所へ隠れて松茸とり、んべ、ちぎりにも行きました。この良き古里を如実に称えた歌があります。宮田小学校の校歌です。私は今でも時々口ずさむことがあります。 「たな雲なびく青空に、そびえて高き倉岳や、紫きかすむ海原に、散らばる島の美しさ」とこの一句はまさに風光明媚の里を見事に表現しています。 又「耕す鍬に陽は光り、操る櫂に月は散る、希望の村の、明けくれに」勤勉実直な村人の素朴な風情が込められており、私の大好きな詩の一つです。過ぎし日の古里と今日までの我が生き様を思い浮かべながら、現在の心境を一句詠んでみました。 古里は、老い行くほどに、懐かしく 思いつのれど、ただ遠くなる。
これは還暦祝いで帰省した際に詠んだものです。 [同窓に、学びし童、時は過ぎ還暦迎え、名を名乗り合い今暮らす、第二の郷は、離れても語るは同じ、里の友がき」 たとえ行政機構が変わっても、郷土愛は不変です。これからも、総意を結集して新しい町づくりのために頑張りましょう。 |